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東京地方裁判所 昭和44年(ワ)12119号 判決 1971年10月11日

原告 田々辺岩造

被告 東京都 外一名

主文

一  被告らは各自原告に対し一一五万四、一八七円およびうち一〇六万四、一八七円については昭和四四年一一月一五日より、うち二万円については同四五年一月二四日より各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告その余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

四  この判決は原告の勝訴部分に限り仮りに執行することができる(但し、被告内海に執行するときは五〇万円の担保を供すること)。

事実

第一請求の趣旨

一  被告等は、各自原告に対し金一、三〇二、四八七円也およびこれに対する昭和四四年一一月一五日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告等の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

第二請求の趣旨に対する被告らの答弁

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第三請求原因

一  被告らの地位

被告内海厳は、警視庁上野警察署を勤務地とする警察官(巡査)であつて、被告東京都に任用されている地方公務員である。

二  原告に対する被告らの不法行為

原告は、昭和四三年五月六日午後八時頃、御徒町で飲酒の上、常磐電車を利用して帰宅しようとして上野駅構内の上野警察署警備派出所附近を通りかかつた際、突然被告内海により警備室内へ強制連行された。そして警備室内の椅子へ両肩を押しつけられて無理やりに座らせられ身体の自由を拘束しながら、ものもいわずに同被告は原告の右胸部・胃腹部を自己の膝頭で連続五回にわたつて蹴り上げて強打するに至つた。原告はいかなる理由で連行されたうえこのような暴行を加えられなければならないのか全く不明でいたところ、右の暴行が終るや同被告は、大声で「酒なんかくらいやがつて生意気だ」といいながら「この野郎、すれ違いさまに、女の身体に手をさわつたろう」と怒鳴つた。

しかし原告は女の身体に手をふれたこともなければ、なんの不都合な行為にも及んだ事実もないし、思い当るふしもなかつたので「覚えがありません」と答弁するや、同被告は、「この野郎、すれ違つたとき身体に手がさわつたと女が言つているんだよう」と大声で怒鳴りながら再び右同様な手段と方法で、力まかせに原告の右胸部・腹部を三回蹴り上げた。このような常軌を逸した、はげしい拷問のため原告は苦痛に耐えられず沈黙してうつむいていたところ、同被告は無理やりに顔を上げさせ、又もや「この野郎」と怒鳴りながら、前同様の手段で同一部分を続けて三回はげしくメツタ打をなした。そして自分の思うような供述をえられない同被告は、極度に興奮しながら、もはや狂人のようになつて原告の胸部・腹部を十数回蹴り上げては大声で原告をばとうし、あげくの果てには「この野郎ぶち殺してしまえ」と怒鳴りながら両手で原告の首をしめつけてきた。この結果ついに原告は一時失神し、その場に倒れるに至つた。

そしてそのまま同被告は原告を上野警察署へ連行して、始末書を書かなければこのまま今晩は留置する旨脅迫してきた。原告は、このような不法な仕打をうけたうえ、理由もなく始末書に署名することはできなかつたが、前記のようなはげしい拷問をうけているため、このままでは殺されるかもしれないし、とにかくこの場からのがれることが先決である旨思料し、不本意ながら同被告のでたらめな始末書に署名するに至つた。

三  原告の被つた損害

叙上の暴行をうけた結果、原告は通院加療一年半以上も要する右第一一肋骨々折、右側胸部挫傷、肝裂傷の重傷をうけ、現在も通院加療中である。そして、その結果、原告のうけた損害は次の通りである。

(一)  治療費(健保三割負担) 金三二、四九七円也

前記傷害の治療のため原告は左記病院に通院加療したが、それに要した費用。その内訳は、

葛飾区亀有三ノ三五ノ八

高橋外科 金四、九六〇円也

同区亀有三ノ三二ノ一〇

医療法人杏仁会松岡病院 金九、八五五円也

同区青戸六ノ四一ノ二

東京慈恵会医科大学 金九、三七二円也

文京区本郷七ノ三ノ一

東京大学附属病院 金八、三〇〇円也

(二)  休業補償 金三二〇、〇〇〇円也

原告は本件当時一か月金四万円の経済能力があつたが、本件傷害のため再就職ができず、結局昭和四三年一二月末日まで八か月間働くことができなかつた結果、金三二〇、〇〇〇円也の収益を失つた。

(三)  慰藉料 金八〇〇、〇〇〇円也

原告は前記のような常軌を逸した暴行を受けて重傷をうけたが、加害警察官の氏名も不明であり、警備室内の奥の部屋で本件犯行がおこなわれた関係で目撃者の発見も、弱い一人の庶民にとつては不可能に近い状態であつた。しかし、原告にとつては、このような違法な職務執行のため重傷をうけて、就職もできないばかりか生活にも追われている自分の立場を思うにつけ、かえすがえす残念でならなかつた。そこで被告東京都、警視庁、東京都議会、弁護士会などへ働きかけて、加害警察官の氏名の確認と救助を求めて筆舌につくしえない苦労をかさねた。然し警視庁は加害警察官の氏名を明らかにすることを拒否したばかりか一片の文書で原告の東京都知事および東京都公安委員長宛の要請を冷たく拒否した。ところが原告の努力がついに報いられる時がやつてきた。東京法務局人権擁護部が原告の申立を受理し、「昭和四四年特別事件第一五号」として立件し、関係者から事情を聴取した結果、前記請求原因二記載の通りの驚くべき真相がついに明らかにされたのである。そして警視庁の前記回答文によると、厳重に調査した結果原告主張のような事実は全くなかつたと強調しているが、事実はその調査なるものはきわめて粗雑なものであり、あるいは意識的に原告と某人物とをすりかえているのではないかと疑われるような諸事情も明らかとなつた。

いやしくも警察官たるものは国民の基本的人権を擁護し、正義の化現者であるべきは、いまさら指摘するまでもないし、本件は戦前においてもみられなかつたほどの悪質な拷問であるばかりか、警察官の仮面をかぶつた町のチンピラにもおとる暴挙である。

本件暴行により原告が受けた精神的苦痛其他、原告の傷害の程度、本件犯行の高度の違法性など諸般の事情に照し、慰藉料は金八〇万円を下らない。

(四)  弁護士費用

現行の民事裁判の実情に照し、訴の提起は弁護士に委任するのが通常であるから、弁護士費用は本件犯行と相当因果関係のある損害であり、とくに本件犯行は高度の違法性が認められるところ、原告は本訴請求をするに際し弁護士である原告訴訟代理人に訴訟代理を委任したのであるが、その弁護士費用は一五万円を下らない。

四  被告らの責任

被告内海はその職務を行うについて故意に前記二の行為に及んだものであるから、被告内海は民法第七〇九条の規定により、被告東京都は国家賠償法第一条第一項の規定により、原告に対しその被つた前記三の損害を連帯して賠償する義務がある。

なお被害者が加害公務員個人に対し、直接損害賠償を請求できるかについて諸説があり、最高裁判決(最判昭三〇・四・一九民集九・五・五三四)がこれを否定したことはある。しかし、最高裁がはたして加害公務員に故意、又は重過失が認められる場合についてまで個人責任を否定する趣旨であるかは不明である。加害公務員の個人責任を否定する説は、個人責任を認めると公務員の職務執行を委縮させるおそれがあるというようであるが、本件のように被告内海の「故意行為」による「特別公務員暴行陵虐」(刑法一九五条)罪に該当するケースにおいては右否定説の危惧は全くない。従つて少くとも「故意」に基く職権濫用行為については個人責任を認めるのが妥当である(大阪高判昭三七・五・一七高民一五・六・四〇三)

五  むすび

よつて原告は被告らに対し、連帯して前記損害額合計一三〇万二、四八七円およびこれに対する前記不法行為があつた日以後である昭和四四年一一月一五日から完済に至るまで民法所定五分の割合による遅延損害金の支払いをなすことを求める。

第四請求原因に対する被告らの答弁および主張

一  請求原因一の事実を認める。

二  同二の事実中被告内海が原告を原告主張の日時(但し時間は午後九時二〇分ころ)、上野駅構内の警備派出所へ任意同行(強制連行ではない)したこと、その際原告が飲酒していたこと、そこから上野警察署へ同行したこと、及び原告が始末書に署名したこと、は認めるが、被告が原告主張の如き暴行、暴言、脅迫をしたことは否認する。

三  同三の事実中原告の傷害の事実および(一)・(二)の事実は不知、原告の傷害が被告内海の行為に起因するとの点は否認し、(三)のうち東京都知事及び東京都公安委員長が文書で原告の損害賠償の請求を拒否したこと、東京法務局人権擁護部が原告の申立を受理したことは認めるが、その余の事実は否認する。

四  同四の事実中、被告内海の行為が不法行為であること、被告らに責任があるとの点を否認する。

仮りに被告内海に不法行為があつたとしても、本訴は同被告が公権力の行使に当り原告に加えた損害の賠償を求めるものであるところ、かかる請求は同被告の属する地方公共団体がその責に任ずる(国賠法一条)べきなのであるから同被告個人に対する本訴請求は失当である。

第五請求原因二の事実関係に関する被告らの主張

一  事件の発端

(一)  昭和四三年五月六日午後九時二〇分ころ被告内海は当番勤務で国鉄上野駅構内総合案内所付近警ら中であつたが、原告が改札口方向から、一直線に同案内所前に立ち止つていた訴外北沢秋子(一八歳)に向つて歩いてくる姿をみた。

(二)  そこで同被告は、原告の行動を注視していたところ、原告はいきなり北沢の正面から、同人にもたれかかるようにして、手を同人の胸に触れるのを現認したので急ぎ足でその場に近づいた。その間、北沢は、足元に置いた荷物を廻つて原告を避けようとしたが、原告は、それでも北沢につきまとつた。

(三)  同被告は、北沢に接近し、「胸を触られたか」と尋ねたところ、「はい」という返事があつたので、原告の行為は「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」第五条第一項違反に該当するものと考え、場所が駅構内であるので、原告に「君はどうしてこんなことをするのだ、そこの交番まで来てくれ」と同行を求めたところ、原告はこれに応じ、北沢とともに警備派出所まできた。

二  警備派出所における取扱状況

(一)  警備派出所は、入口が見張所、奥が調室になつているが、部屋の間仕切は腰高透明ガラスで、見張所から調室が見えるようになつている(当時の派出所の状況は概略別紙図面<省略>のとおり)。

(二)  同被告は北沢を見張所の椅子に、原告を調室の椅子にそれぞれ腰かけさせ、居合せた上司訴外秋山司郎(巡査部長)に事案の概要を報告し、秋山が北沢から事情を聴き、同被告が原告を取調べることになつた。原告は住所氏名を明らかにした後、取調べに対し「胸に触つたのではない、もたれかかつたのだ」ということを繰り返した。同被告は取調べの間に指名手配と前科照会をしたが、指名手配には該当せず、前科照会の回答は未着であつた。なお、この間原告は同被告より暴行を加えられた旨主張するが右取調室内における同被告と原告の位置関係は別紙図面のとおり長机をはさんで対置しているのであるから、原告主張の暴行を加えることは物理的に不可能である。

(三)  秋山は、北沢から事情を聴いたところ、「男の人が胸のあたりにもたれかかるようにしてきたので驚いて横へ逃げた。ほんとにいやらしくなつた」旨を述べたのでその調書を作成した後、訴外北沢は発車時刻が迫つていたのでそのまま帰し、同被告に対し、原告を上野警察署に同行するよう指示した。

(四)  そこで同被告は、原告に対し同行を求めたところ、原告は承諾したので、パトカーで上野警察署まで同行し、同日午後一〇時ころ宿直中の訴外田村功(巡査部長)に事務を引継いた。

三  上野警察署における取調状況

田村は原告を取調べ、同被告はその際立会つていたが、原告は田村に対し「別に変なことはしない、酔つてもたれかかる程度だ」と弁解を繰り返えした。

田村は同被告の報告や、北沢の供述調書を検討した結果、原告の行為は少くとも軽犯罪法第一条第二八号に該当するものと判断したが、原告の氏名住所が明らからであること、そのころ判明した前科照会によると前科もないこと、その態度も酒に酔つてはいるが平静であり且つ「女性に迷惑をかけて申し訳ない」と言つていること等を勘案し、上司とも相談し原告を所謂始末書処分にしようと考え、原告に「申し訳ないと考えているなら始末書を書きなさい」というと原告は、「酔つてうまく書けないから代筆してくれ」というので、田村が文言を書き、これを読んで原告に渡したところ、原告が署名指印し午後一一時ころ退出したものである。

その間原告の様子には何等変つたところが見られなかつた。

上野警察署の取調べ室は玄関より入つた一番奥の二階にあるが、そこまで行くには玄関で三階段、二階に上るとき二〇階段、取調室で三階段合計二六階段を上下しなければならない。

原告が派出所でその主張する如き傷害を受けたとすれば、当然これが往復に困窮する筈であるのにそのような様子は全く見受けられず、また原告からかゝる苦情はなかつた。

第五証拠関係<省略>

理由

第一原告に対する被告内海の不法行為等(請求原因二)について

当事者間に争いのない事実に、成立につき争いのない甲第7号証の1ないし4、第15号証の1ないし8(但し同号証の3については後記措信しない部分を除く)、第21号証の1ないし6(但し同号証の3ないし6については後記措信しない部分を除く)、第22・23号証の各1・2、第24号証の1ないし4(但し同号証の2・3については後記措信しない部分を除く)、第29号証の1ないし4、第30・31号証の各1ないし4、第32号証の1・2、第35号証の1ないし6、第36号証の1ないし4(但し同号証の3・4については後記措信しない部分を除く)、第37号証の1・2、乙第1号証、第2ないし5号証、第7・8号証、原告本人尋問の結果(第一回)により成立を認めうる甲第9号証(但し後記措信しない部分を除く)、第20号証の2ないし17(但し7については後記措信しない部分を除く)、代理人名下の印影が代理人の印章によるものであることを被告らにおいて明らかに争わないので全部真正に成立したものと推認すべき甲第10号証(但し後記措信しない部分を除く)、官公署作成部分については成立に争いなく、その余の部分については原告本人による署名がなされたものであることを被告らにおいて明らかに争わないので全部真正に成立したものと推認すべき甲第14号証の1・2、証人倉繁定義・岩野信男・田村功の各証言、原告(第一回)・被告内海各本人尋問の結果(但し、いずれも後記措信しない部分を除く)および検証の結果を総合すれば次の事実が認められる。

一  事件の発端

原告(大正八年一二月一五日生、当時四八才)は、昭和四三年五月六日、某区主催のハイキング大会に参加するための費用を納めに区役所に赴き、神田にある知合いの会社へ寄つて遊んだ後、御徒町・上野駅付近で清酒約三合(コツプ三杯)、ビール小びん一本を飲酒して帰宅途中の同夜九時二〇分ごろ国鉄上野駅構内総合案内所付近に立ち至つた。被告内海は当時警視庁巡査で上野警察署上野駅構内派出所に勤務し(当日は午前八時三〇分より執務し翌朝午前一〇時まで引続き執務の予定)、前記時刻頃同所附近を警ら中であつたが、同所で新潟に帰省のためいあわせた訴外北沢秋子(当時一八才)が見送りにきてくれることになつていた中学校時代の同級生を捜すべく荷物を下に置いて回りをキヨロキヨロしているのを目撃して、その挙動を不審に感じ注視していたところ、酒酔いのため千鳥足で歩いていた原告が同女の体にぶつかるような格好になつたので同女は驚いて横に飛びのいた。右所為を現認した同被告は、原告がいきなり右手で同女の胸をさわり、同女が足元の荷物をよけて逃げると、なおもしつこくつきまとうようにしてさらに近づいているものと誤認した結果、原告の所為は「公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例」(昭和三七年一〇月一一日条例第一〇三号、以下単に「ぐ条例」という)第五条第一項に規定する「何人も婦女に対し、公共の場所または公共の乗物において、婦女を著しくしゆう恥させ、または婦女に不安を覚えさせるような卑わいな言動をしてはならない。」に違反する行為に該当すると判断し、同女と原告に対し上野駅構内にある警視庁上野警察署上野駅第一警備派出所まで任意同行を求めたところ、原告はそれに応じた。

二  右派出所における取扱状況

右派出所では入口に近い方の部屋である見張室で被告内海の上司である訴外秋山巡査部長が北沢から事情を聴取し、同被告は奥の方にある調室で原告を取調べることになつた。調室にある椅子に腰をおろした原告に対し、柔道初段・剣道三級の資格を有する同被告は約二〇分ないし三〇分間にわたり、「この野郎、酒なんかくらいやがつて、すれちがうとき女のからだに手がさわつたろう」と声高に追求し、原告がそのことを否定すると「女がそういつたんだよう、女がそういつたんだよう」といつて、その間前後数回にわたつて、同被告の手で原告の胸倉をつかみ、ひざ頭で何らの物理的抵抗もしない原告の右胸部・右腹部あたりを連続して蹴りあげる暴行を加えたため原告は一時的な意識の喪失をきたした程であつた。そこで、口答えすると更に暴行を加えられるのではないかと恐れた原告は、黙つてうつ向くばかりであつた。なお原告が指名手配中の者に該当しないことは警視庁に問いあわせた結果即座に判明したが、同被告は秋山巡査部長の指示も受け、原告を「ぐ条例」違反として警視庁上野警察署へ同行するのを妥当と判断し、パトカーに乗せて同夜一〇時過ぎ原告を右警察署に同行した。

三  右警察署における取扱状況

右警察署保安係として勤務する訴外田村功巡査部長は被告内海から報告を受け、直ちに原告を「ぐ条例」違反として取り調べたのであるが、原告と同被告のいい分には食い違いがあり、前記派出所で作成された北沢の調書を取り寄せて調べた結果、原告において同被告のいうような「卑わいな言動」はなく、単に酔つた原告が北沢の胸にもたれるようにしたので北沢は驚いて逃げたものである、すなわち、軽犯罪法第一条第二八号後段の「不安若しくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとつた者」に該当するのではないかと判断した。そこで、原告の処置につき上司の決裁をあおぎ、原告には過去に犯歴もないことを勘案し、始末書処分とするのを妥当とし、田村において要旨「原告は酒に酔つてふらふらしていたため女の人に近よりもたれかかるようになつて大変迷惑をかけてしまつたことを深くわび、原告に対する寛大な処分を願う」内容の文章を起案した上で、原告に署名・指印をさせて同夜一一時過ぎ帰宅を認めた。

四  被告らは前記一ないし三認定と重要な部分で正反対に相違する主張をしている(事実摘示中第五参照)。しかし、「原告において北沢の胸にふれた」との被告ら主張の点については、これに符合する前掲甲第24号証の1・2の記載および被告内海本人の供述は、甲第35号証の1ないし5の記載内容に照らし、措信できないし、また「前記派出所で被告内海は原告に暴行を加えたことはない」との被告ら主張の点については、これに符合する前掲甲第21号証の3・6、24号証の3、29号証の2・3、35号証の3ないし6、36号証の3・4の各記載および被告内海本人の供述がある。しかし前記証人倉繁定義は、北沢と同道して派出所に赴き、見張室内で佇立したまゝ被告内海が原告に暴行を加えた状況を目撃して詳細に供述しており、右倉繁は東京法務局人権擁護部事務官、警察官らにも一貫して同旨の供述をしていること(前掲甲第31号証の1ないし4、37考証の1、2、乙第4号証)その供述内容を詳細に検討しても合理的で不自然さがないことからその供述は充分措信するに足り、これに証人岩野信男の供述、乙第1号証その他前記認定に供した各証拠を総合して比較検討すると、到底措信できない。また被告らは<1>前記派出所の調室の机・椅子等の配置に関する主張(事実摘示中第五の二の(二)「なお」以下参照)、<2>上野警察署での取調室の位置ならびに原告の状態に関する主張(同第五の三の後半部分参照)から原告が被告内海から暴行をうけたことはない旨主張し、右<1>の主張についてはそれに沿う前掲甲第36号証の3、成立に争いのない乙第10号証の各記載および被告内海本人の供述があるが、右各証拠は前掲甲第30号証の3、第37号証の2、乙第3ないし5号証および証人倉繁の証言に対比すれば必らずしも措信することはできず、右<2>の主張部分については証人田村の証言によりこれを認めることができるけれども、これと仮りに右<1>の主張事実のとおりであつたとして、これらを総合しても、原告に対する被告内海の前記暴行の存在についての反証としては未だ足らないものというべきであり、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

なお原告は同被告により前記派出所に強制連行されたこと、上野警察署では始末書に署名しなければ留置する旨脅迫されたと主張し、右主張に沿う前掲甲第9号証、第15号証の3、第20号証の7の各記載および原告本人(第一回)の供述があるが、右証拠は証人田村の証言に照らす等しても措信するに十分でなく、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

第二原告の被つた損害(請求原因三)について

一  受傷の部位・程度および治療費等について

作成名義人下の印影が同人の印章によるものであることを被告らにおいて明らかに争わないので全部真正に成立したものと推認すべき甲第1・2号証(甲第16・17号証に同じ)、第5号証の1ないし3、証人鈴木振平の証言により成立を認めうる甲第3(甲第17号証に同じ)・46号証、原告本人尋問の結果(第一回)により成立を認めうる甲第5号証の4・5、第39・40号証、成立に争いのない甲第25ないし27号証(各1・2)、第45号証、乙第6号証の1、右乙第6号証の1により成立を認めうる甲第4号証(甲第19号証に同じ)、証人高橋三郎の証言により成立を認めうる乙第6号証の2、証人津崎渉・鈴木振平・高橋三郎の各証言、原告本人尋問の結果(第一回、但し前・後記措信しない部分を除く)、原告本人の胸部についてのレントゲン写真であることについて争いのない甲第43号証の1・2(昭和四三年五月三〇日慈恵大学附属病院青戸分院放射線科で撮影)、乙第9号証の1ないし3(同年五月七日高橋外科病院で撮影)を総合すれば次の事実を認めることができる。

(一)  原告は被告内海の前記暴行により右側胸部打撲或いは第一一肋骨骨折(右暴行により肋骨々折を生じたかについて医師の診断にくい違いがあるが、軽度の骨折を生じた可能性も大きい。たゞし、軽度のものであるとしても、肋骨骨折と胸部打撲との間には、治療方法については殆んど差異は認められない)の傷害を負い左記1ないし3のように治療を受けた。

1 葛飾区亀有三-三五-八所在高橋外科において、本件事故の発生した翌日(昭和四三年五月七日)診療を受けたところ右側胸部挫傷と診断され、同日から同年七月二六日までの間に六一日間通院加療し、うち五月七日から同月一五日までは右下肋骨部をバンソーコで、同月一六日から七月二六日まではバンドで各固定し、同時に鎮痛剤の投薬および注射による治療を施された。原告はその治療費として同年七月二七日四、九六〇円を支払つた。

2 右治療だけでは右胸部の痛みがなかなか止まらないことを心配し、同年五月三〇日、同区青戸六-四一-二所在の東京慈恵会医科大学附属病院青戸分院を訪れ、レントゲン撮影による検査を受け第一一肋骨骨折と診断され、同年六月八日には向後約二週間の安静を命ぜられ、以後同年一二月五日まで計八日間通院加療し、その間、治療費として原告は九、三七二円を支払つた。

3 いつまでも職につかないでいるわけにもいかないと思つて前記高橋外科に軽い仕事をしてもいいかどうか尋ねたところ大丈夫だろうという返事だつた。そこで同年七月上旬公共職業安定所に出頭して求職の申込をしたところ、同年八月五日東京それいゆ手工芸株式会社に月給四万五、〇〇〇円(交通費別途支給)で採用された。しかし、前記暴行をうけて以来依然として肝臓付近の痛みがとれないことから内科の精密検査をうけるため同年八月一二日、葛飾区亀有三-三二-一〇所在医療法人杏仁会松岡病院を訪れ、陳旧性肝裂傷なる診断のもとに安静加療を命ぜられたので、前記それいゆ株式会社への就職を取り消し、以後同病院において同年一二月二〇日まで計四三日間通院加療し、打撲の後遺症として飲み薬と注射による治療を施し、その治療費として原告は遅くとも同四四年二月一日までに九、八五五円を支払つた。

(二)  前掲甲第45号証、原告本人尋問の結果(第一回、前・後記措信しない部分を除く)によれば原告は昭和四三年七月九日から同年一二月一二日までの間失業保険金計一二万一、六八〇円を給付され、しかもそのうち六万八、六四〇円は傷害給付金として給付されていることが認められるが、これと前掲乙第6号証の1・2(但し1については高橋三郎に対する捜査結果が記載されている部分)を総合勘案しても、いまだ前記3の認定を覆すには足りず、他に前記1ないし3認定を左右するに足りる証拠はない。

(三)  前掲甲39・40号証、原告本人尋問の結果(第一回、前・後記措信しない部分を除く)によれば、原告は文京区本郷七-三-一所在東京大学附属病院に同年五月一七日から被告内海の前記暴行による胸部打撲後の胸痛を主訴に来院して検査を受けた結果糖尿病であることもわかり、同年六月一日から七日までは打撲症の治療として、それ以後は、糖尿病の治療として同年一二月四日まで通院加療し、それらの治療費として原告は遅くとも同四四年三月一九日までに合計八、三〇〇円を支払つたことが認められるが、被告内海の前記暴行と右糖尿病との間に相当因果関係があることについては原告本人の供述(第一回)があるが、これだけでは右因果関係を認定するには十分でなく、他にそれを認めるに足りる証拠はない。そうして、右治療費のうち打撲症の治療に要した費用がいくらになるかを証明する証拠もないから、結局右病院に対する治療費相当の損害金の請求の部分は証明不十分といわざるをえない。

二  休業補償(休業による逸失利益)について

(一)  原告本人尋問の結果(第一回)により成立を認める甲第6・41号証、前掲甲第42号証、原告本人尋問の結果(第一回、前記措信しない部分を除く)に前記第二の一の(一)認定事実を総合すれば、原告は本件事件当時月四万円の収入を得る能力があつたこと、被告内海による前記傷害により原告は昭和四三年一二月半ばごろまで働くことができなかつたこと、原告は同年四月三〇日でもつてそれまで勤務していた家田薬品株式会社をやめており、本件事件当時は失職中であつたが、労働能力も労働意思もあり、すぐ他の就職先をさがそうとしていた矢先であつたことが各認められる。そうすると、原告は同年五月半ばから同年一二月半ばまで七か月間は就業して月四万円の賃金合計二八万円を獲得することができたのに、被告内海の前記暴行によりそれが不可能になつたのだから、原告は逸失利益として右同額の金員の損害を被つたことになる。

(二)  原告が失業保険金の給付を受けていたことは前記第二の一の(二)で認定したとおりであるが、これのみで原告は同年七月ごろに労働能力がなかつたとの認定を左右するにはなお不十分であり、そのことは前記第二の一で説示したことからも窺知される。また、失業保険法によつて支給される失業保険金および傷病給付金は、いずれも被保険者が失業した場合の生活の安定を図ることを目的として支給されるものであつて損害の填補を目的とするものでないこと、被告内海の前記不法行為とは何の関係もないことは明白であるから、右休業補償額を算定するに際し、何ら参酌する必要性は存しないものである。(なお、原告が失業保険金・傷害給付金の給付を受けていたことと右給付期間中も被告内海の前記暴行行為により就業することができなかつたとの前認定が必らずしも矛盾するものではないことは前述したとおりである。そうであるとすれば、本件におけるような場合失業保険金・傷害給付金の支給が当を得たものであるかどうか全く疑問がないわけではないが、右の点にまで本件訴訟において当裁判所が判断する必要性はない。いずれにしろ右支給の点は保険者である政府と受給者である原告との間の問題であつて、本件における原告の逸失利益額を算定するにあたつては関係ないものである。)

三  慰藉料について

(一)  既に認定したことから明らかなとおり、被告内海の前記暴行は警察官がその職務執行中に、酩酊しているだけで何ら無抵抗の被疑者に対し、犯行の自供を迫まりつゝ加えたものである。本件暴行が、市民の権利と自由を保護することを任務とする警察官から受けただけに、原告の精神的打撃は、極めて大きいものということができる。

(二)  しかも、既に認定したことから明らかなとおり、原告の上野駅構内での前記所為が、「ぐ条例」第五条第一項に違反するものであつたと認めるに足りる証拠はなく、田村巡査部長ものちほどこのことを認めており、このことは前記派出所における北沢秋子の取り調べを併行して行つているのであるから容易に判明しえたのではないかと推測されるのに、漫然と原告を「ぐ条例」違反の嫌疑で上野警察署まで同行している。そして、上野警察署で原告を取り調べた田村巡査部長は原告の前記所為は「ぐ条例」ではなく、軽犯罪法第一条第二八号に違反するものと判断し、原告を始末書処分にしているが、本件全証拠によるも原告の前記所為が軽犯罪法第一条第二八号違反に該当することすら疑わしいことを考えれば、右始末書処分が妥当な処置であつたかさえ疑問なしとしない。

(三)  しかのみならず、当事者間に争いない事実に、成立に争いない甲第8号証、第44号証の1、前掲甲第7号証の1ないし4、第9・10号証(いずれも前記措信しない部分を除く)、第14号証の1・2、第15号証の4ないし8、第20号証の2ないし17(但し7については前記措信しない部分を除く)、第24号証の1・4ないし6、証人津崎渉の証言、原告本人尋問の結果(第一・二回但し第一回については前記措信しない部分を除く)によれば次の事実を認めることができる。

1 原告は本件事件の翌日(昭和四三年五月七日)国民健康保険法による療養給付をえられる手続を足立区役所ですませた後、上野警察署に赴き、前夜上野警察署まで同行された理由および始末書の内容を確めようとしたところ、逆に原告は警察官(氏名不詳)からしかりとばされ、右目的を達することなく退去せざるをえなかつた。

2 どうしても納得できない原告は、その後加害警察官の氏名の確認とその責任を追及するため

(1)  先ず同年五月二七日以来足立区役所、人権擁護委員、都の無料法律相談所等へ、同年九月一六日ごろには日本弁護士連合会人権擁護部への相談を続け、他方駅構内で酔つぱらつて歩くことは法規に反するかどうかの点について東京都に文書で問いあわせる等もしたが、具体的な解決策を見出すことはできないでいた。

(2)  翌年(昭和四四年)二月一日ごろ前記日弁連の人権擁護部に呼び出され、検察庁に加害警察官を告訴した方がいいのではないかと示唆されたので、同年二月に東京地方検察庁宛被告訴人住所氏名不詳のまま、年令・顔だち・身長等で特定し、加害警察官の暴行の事実を詳述し、それが強要罪(刑法第二二三条)、特別公務員暴行陵虐罪(同法第一九五条)、同致傷罪(同法第一九六条)に該当すると思われるとして告訴した。

(3)  ところが東京地検では氏名がわからぬのでは捜査できないといわれたので、原告は同年三月一四日には警視総監宛、同年三月一六日には東京都公安委員長宛それぞれ加害警察官の暴行の概略を述べてその氏名の教示を願う書面を提出し、同年四月二日には右各書面と同様の内容に損害賠償の請求をする意思も含めて、美濃部東京都知事宛書面を提出したが、同年六月一六日ごろ原告は、警視庁での独自の捜査の結果では原告主張のような警察官の暴行の事実は全くなく、取扱警察官の行為は適法な職務執行である旨の回答に接した。

(4)  他方原告は同年三月一六日付書面で法務省人権擁護局局長宛に加害警察官の暴行の概略を述べ、人権侵害事件としての調査を依頼したのであるが、これが同年四月四日東京法務局人権擁護部で受理され、重要度の高い事件所謂特別事件として調査を開始されることになつた。その結果ようやく加害警察官が被告内海であると特定されたのであるが、それは原告が前記暴行を受けて一年以上も経過した同年五月一六日ごろのことであつた。そして右法務局人権擁護部に対する回答も原告主張のような暴行事実は全くなかつたとの内容であつたが、右人権擁護部は独自の調査を進めた。

(5)  右調査がかなり進捗したころの同年一〇月ごろ被告内海の責任を追求するために弁護士である原告訴訟代理人に民事訴訟の提起・遂行を委任した。

以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

(四)  以上(一)ないし(三)認定の事実に、すでに認定した前記諸事実を総合勘案すれば、原告の被つた諸々の精神的打撃を慰藉するには七〇万円をもつて相当と認める。

四  弁護士費用について

前掲甲第44号証の1、成立に争いない甲第44号証の2および原告本人尋問の結果(第二回)によれば、原告は昭和四四年一〇月二六日原告訴訟代理人に対し着手金として五万円、実費として一万円を支払い、同四五年一月二四日には本件訴訟の証拠書類を作成するための記録写真代として二万円を支払つたこと、本件訴訟を委任するに際し、謝金として認容額の一割五分の支払いを約していることが各認められる。

以上によれば、原告がすでに支払済みの右金員および負担すべき謝金を含めて、原告が原告訴訟代理人に支払うべき弁護士費用は一五万円を下らないことは明らかであり、しかも前記第二の三の(三)認定の事実に本件訴訟の経過等を徴すれば、一五万円の弁護士費用が被告内海の前記不法行為と相当因果関係の範囲内であることもまた明白である。ところで右一五万円のうち既に支払済みの八万円を除いた七万円については、将来の給付の請求というべきであるが、本件において右金員が、「予メ其ノ請求ヲ為ス必要アル場合」であることの主張が含まれ、しかもその立証がなされていることは弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

第三被告らの責任(請求原因四)について

一  被告東京都の責任(被告内海との関係)

被告内海は警視庁上野警察署を勤務地とする警察官(巡査)であつて、被告東京都に任用されている地方公務員であることは当事者間に争いなく、従つて被告内海が東京都の公権力の行使にあたる公務員であることは明らかである。しかして、被告内海の原告に対する前記暴行行為は同被告が公務員として職務を行うについてなしたものであり、前記認定事実からして故意にでたものと推認することができるから、被告東京都は国家賠償法第一条第一項の規定により、原告の被つた前記損害を賠償する義務がある。

二  被告内海の責任

国家賠償法の規定が適用される場合に、個人責任をも追求することができるかどうかについては同法には何らの規定もなく解釈にゆだねられているところ、その解釈についても争いがある。思うに、

(一)  公務員個人の直接責任を認めると公務員の職務執行を萎縮させてしまうというが、民法では機関個人又は被用者自身の被害者に対する直接責任を負うとされていることと対比すると、公務員の場合にそれと別異に解釈して取り扱うべきだとする合理的理由が見出しがたいこと。

(二)  加害公務員に対する責任追求は、公務員に対する国民の監督的作用にとつて極めて有効な手段であり、本来国民全体の奉仕者であるべき公務員が故意或は重大な過失によつて国民の権利を侵害する場合にすら公務員個人に対する直接責任の追及を認めないのであれば、経済的充足だけでは満されない国民の権利感情を著しく阻害する結果を招来するおそれがあること、

(三)  他方国家賠償法第一条第二項の規定が民法第七一五条第三項と違つて加害公務員の軽過失の場合の求償権の行使を制限していること。

以上の要素を総合勘案すれば、加害公務員に故意又は重大な過失があつたときは自らも民法第七〇九条の規定による責任を負担せざるをえず、そのような場合の加害公務員と国又は公共団体の責任は不真正連帯債務の関係に立つものと解するのが相当である。

これを本件についてみるに、被告内海の前記行為が民法第七〇九条の法律要件を充足していることは前認定の諸事実により明らかであるから、被告内海も原告の被つた前記損害を賠償する義務がある。

第四結論

従つて被告らは各自原告に対し一一五万四、一八七円およびうち一〇六万四、一八七円については本件不法行為発生後の昭和四四年一一月一五日より、うち二万円(前記記録写真代)については支払がなされた同四五年一月二四日より各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある(なお前記弁護士費用の未払分七万円については未だ支払がなされていないので遅延損害金を付することはできない)。よつて原告の本訴請求は右の限度で理由があるから認容するが、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条・第九二条但書・第九三条第一項但書、仮執行の宣言につき同法第一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西村宏一 竹田稔 簑田孝行)

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